Sunday, January 07, 2007

アメリカの家族 ② 養子を迎える

新年あけましておめでとうございます。日本の皆さまは、お正月ののんびりした雰囲気の中で、日頃の忙しさを少しは癒していただけましたでしょうか。いいですねぇ。日本のお正月。ゆずや三つ葉の香りのするお雑煮や数の子といったお正月ならではのご馳走は・・もう何年も食べていません(涙)。日本の父母が子供たちに送ってくれるお年玉の入った「ぽち袋」だけが唯一、お正月を感じさせてくれるくらいで・・。アメリカでは11月末のThanksgiving(サンクスギビングデー)を皮切りにホリデームードが高まっていき、贈り物のためのショッピング、そしてChristmas(クワンザやハヌカなど他の宗教の人々のお祝いもたくさんあります。)に向けての街のイルミネーションや催し物の数々・・そして待ちに待ったクリスマス。家族や友だちが集まる機会が、この2大National Holidaysが終わると同時に、多分アメリカ人のホリデームードは終結してしまうのではないでしょうか?新年は2日から学校も仕事もはじまってしまい、なんとなく寂しい日本人の私です・・(とほほ)。

 さて、今日から数回にわたってお届けするのは、アメリカの家族の形、とりわけ養子として新しい家族を迎えるアメリカの家族あれこれです。アメリカに移住した5年前。中国の女の子を養子に迎える家族が、あっちにもこっちにも目について、あまりに、ここアメリカでは養子制度が一般的なことが本当に新鮮にうつったものでした。そしてたった5年の間ですが、6組の友人夫妻が、養子を自分達の家族に迎え入れる様子を間近に見せてもらい、また数え切れないほどの、“知人の知人”レベルの人たちが養子を受け入れ、全くの親の愛をもって、その子供たちを育んでいる様子を見て、アメリカ人の良い面をたくさん知った気がするのです。ごく一部の様子ですが、日本の皆さんにもアメリカの養子制度の一幕を垣間見ていただければと思います。

 今(私の知る限りでは)、アメリカの養子のもらい先とでもいうのでしょうか、は、海外(中国・南アメリカ等)からが圧倒的なようです。国内では、孤児たちの数も限りがありますが、友人の一人は「私と夫(アメリカ人同士)は中国で英語教師をしていて知り合ったの。2人で、中国の良さをたくさん知ったし、滞在中には中国の人たちにとってもよくしてもらったわ。だから、私たちが結婚して、子供が欲しいって考えたときに、まず一人目は自分たちの子供が欲しいと思った。でも、2人目は中国から女の子をもらいたいって決めていたのよ。」と朗らかに笑います。私が彼女と知り合ったのは、彼らの最初の子供が2歳のときで、そろそろ2番目の子を・・・と考えていた時期でした。でもその後SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome重症急性呼吸器症候群)が流行り、一時、養子制度のプロセスが延滞し、いつ再開されるかもわからない・・。彼らの個人的な家族計画からいえば様々なずれがあったと思いますが、ただ朗らかに、自分達の健康診断・収入審査・親としての育児能力度審査などをこなし、中国から女の子が来てくれるのを、待ちに待っていました。そして、それから2年後に、ようやく、嬉しい通知が来たのです。彼らが家族3人で、その女の子を中国のある村に迎えに行ったとき、女の子は1歳近くになっていても、座らせても腰の据わらない状態だったといいます。あまりかまって貰えず寝かせられてばかりだったからというのが理由のようです。「うーん。初めて土間に寝かせられて、あまり反応もない彼女に会ったときは、これからどうしよう・・?ってしばし考え込んじゃったけどね(笑)!でも、私たち家族のところにようこそ!!って上の子が手を握ったら、この子がニカッーと笑ったの。夫も私も信じられなかったわ!だから、それからは、もう大丈夫だなって確信したの。」それから彼らはご主人の転勤でアフリカに引っ越すことになりました。先日しばらくぶりに帰省した彼らにあったら、その女の子は、お兄ちゃんと公園を走り回り、クリスマスには自転車が欲しいと笑っていました。私はいつも土間に寝かせられたままだった女の子が、新しい家族の元で、こんなに元気に育っている様子を見るにつけ、地上で神様から与えられたような仕事を愛をもってこなす家族の姿に思わず涙がでそうなのに、本人達にはそんな気負いが全くないのです。「あはは。やめてよ!自分達のしたいようにしているだけなんだから!でもあの子は間違いなく私たちの元にくるために生まれてきてくれた気がするわ。」と相変わらず朗らかに笑っている彼らです。

中国で生まれ、アメリカ人の家族とアフリカで暮らす女の子。20年後、どんな姿に成長してくれているでしょうか。楽しみです。